マイピリはコンゴ川沿いにある小さな村。電気も通ってなくて、村人は皆、森で木を切ってその日暮らしで生きている。
村の川辺には綺麗な砂浜が広がっていて、大人たちは毎日そこで薪割りをして、子供たちはフットボールして遊んでた。
首都からくる船が、村人たちから薪を買い取る。そうやって収入を得ることもできるけど、村の中では薪や川で捕って来た魚をお金の替わりとして使い、ビールやタバコ、ビスケットなんかのちょっとした食べ物を買うこともできる。
僕がトイレにしていた小高い丘からは、コンゴ川が見えた。
「マイピリ村の子供たち」
とにかく子供たちは(大人もだけど)エネルギッシュ過ぎる。村には子供がたくさんいるので、次々、永遠に「ケンゴー!」「ケンゴー!」「ケンゴー!」と絡んできて、疲れ果てる・・・クソガキたちは皆キラキラしてて、可愛いんだけどね。
「リンダリンダノッ、ムコウガウァイェー!!!」前に僕と古田君が教えた言葉、子供たちはまだ覚えていて、歌ってた。
初めての訪問のとき、まだ赤ん坊に毛が生えたくらいだった男の子が、
ちょっと大きくなって、生意気になってた(笑)
いつも僕がテントを張っているところに遊びにきてて、仲良くなった女の子たち。僕らの食器を毎日洗ってくれていた。アモコもバンバも、容赦なく子供たちに「洗ってこい」と言うから・・・最初は僕が洗ってたんだけど。お前らもちょっとはさ・・・
過去の写真を見返してビックリ。この子もずいぶん大きくなったんだなぁ。
キャッサバ粉でフフ作り!蒸しパンみたいなルックスのフフ、ひとかけら口に放り込むと、牛舎の香りが口いっぱいに広がる。主食になってる意味が分からない・・・。
村では大人も子供も「ケンゴー!」と会う度に声をかけてきて、可愛がってくれていた。バンバ曰く「KENGO」というのはアフリカンネームでもあるらしく(ザイールの有名な政治家がKENGO WA DONDOという名前)、覚えやすいのだとか。「馬場」も、日本の名前であるけどね(笑)
「キレた話」
僕は普段、日常で怒りを爆発させることってまずない(できない)んだけど・・・コンゴでは、無理でした・・・。
旅の終盤、マイピリ村の老人が亡くなり、それをいいことに(という風にしか見えなかった)マイピリに周辺の村から人々が集結して、ビールやウイスキー片手に歌って踊って大騒ぎ。夜通し太鼓をドンドコ鳴らして、歌い叫んでいる・・・僕のテントのすぐそばで。
2日間ロクに寝れず、それでも根性で釣りに出て、精神も肉体もボロボロになった村滞在23日目の夜、老人を弔うお祭りはピークを迎える。一睡もできずに、深夜2時ごろテントの前で椅子に座り、最低な気分で夜明けをまっていると、「ヒーハオ!!!」と吐き捨てるように(僕にはそう聞こえた)、声をかけられた。
その瞬間、これまでの23日間でため込んでいたものが爆発した。
「オイ!!!今ニーハオって言ったやつ、こっち来い!!!!!おめーだよ、耳ぐらい聞こえんだろ!!!オイ!!!オイ!!!オイ!!!こっち来い!!!!!オイ!!!」
・・・「やべっ」って感じで一切こちらを見ようとしない、そのニーハオって言ったやつ。マイピリ村の住人は僕のことを認知しているから、別の村の人間だろう。
そいつの背中に向かって「オイ!!オイ!!!オイ!!!!」と叫び続けていると、オンジという普段仲良くやってるマイピリの村人が止めに来た。
「ケンゴ、落ち着け、落ち着け」・・・普段パッパラパーなオンジが、僕をなだめにきていて、一気に我に返った。寝ていたバンバを起こして、周りにいた村人たちに詫びを入れる。ははは、今となっては笑い話。
・・・後で、「なんでコンゴ人って、中国人を見かけると全力でヒーハオ!ってディスりにいくの?」とバンバに聞いてみたら、「ヒーハオってのは、ハローって意味さ」と、よくわからない回答が帰って来た・・・バンバ曰く、バカにしてるんじゃなくて、ただ挨拶しているだけだという・・・もしホントにそうだったら、あのヒーハオって言ってきたやつには悪いことした。半分八つ当たりだったし(苦笑)
・・・でも、コンゴ人がヒーハオって言うと、全力でバカにしているようにしか聞こえないんだよな。これは僕の先入観がそうさせてるんでしょうか。
「コンゴ川の船」
流しているウキの目と鼻の先を、巨大な貨物船が通過していく。一度、かなり接近してきて、沈めているアンカーのロープを切られたり・・・。貨物の上には人がおしくらまんじゅう状態で乗ってて、見てるだけで疲れてくる。
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